今日はタイトルの通り、血液培養の指示が出た時に面倒だと思うことへの対策について。
血培の指示が出ると「ああ、血培採取するの面倒だな」と思っている自分がいる。
もちろん、静脈血採血と違って清潔操作で行うため滅菌手袋の装着や消毒など手順が通常の採血に比べ増えるので面倒と感じるのは仕方ないと思いながらも、この面倒な気持ちを何とかしたいと思っていた。
少しでも面倒と思うことを減らして仕事がしやすくなるように、いろいろ考えてみた。
(1)面倒だと思うのはどんな時か
ここら辺をまず掘り下げてみるのだが、箇条書きで挙げてみると
➀手順が面倒(清潔操作)
➁緊張を伴う(清潔操作の維持、採血行為自体、採血順序の順守)
➂時間がかかる(清潔操作、同時に通常の採血も行う時に採血量が増えるなど)
➃緊急での指示(発熱時)
(2)それぞれの「面倒」への対策を考えてみた
面倒だと思う時その➀ 手順が面倒
手順のなかで何が一番面倒なのか考えてみたのだが、やはり清潔操作。普通にディスポの手袋だけでOK、気兼ねなく採血ホルダーや血培ボトルを触ることができ、患者さんの身体にも触れることができれば面倒だとは思わないが、清潔操作になることで一気に面倒の度合いが上がる。清潔操作での採血自体は手順を覚えていればできることだが、実施中も途中で不潔にならないように常に気を遣いながら、また不潔になればやり直しする必要があるのが面倒だなと思う要因になっている。
では対策。
人間関係のしがらみで悩んだ時に目にしたことがある「相手を変えようとするのではなく、自分を変える」という言葉がある。今回の「面倒だな」への対策はまさにこれで「手順を変えるのではなく、自分の血培に対する捉え方を変える」
これが最善なのかなと思っている。そこで血培について基本に帰って勉強し、捉え方の見直しを図りたいと思う。(内容については別の投稿で)
面倒だと思う時その➁ 緊張を伴う
私自身の問題でもあるが、何か一つ不快なことがあるとそれがずっと付き纏う。面倒だなという「不快」に加え、不潔にしてはいけないという緊張が加わることで余計に不快の度数が増す。面倒な気持ちはさらに増強し、緊張もさらに増す。緊張は慣れてない事による自信のなさからくる緊張ではなく、不潔にしてはいけないという緊張なので清潔操作自体には慣れても、緊張することが無くなっていくというのはいままでもなかった(私の場合)。なので緊張に対する捉え方を変えてみようと思う。
緊張しているということは意識が清潔操作に集中できているということ。失敗すればやり直しすることを考えると緊張があるから一度で済んでいるとも捉えることができる。
緊張していなかったら。無意識下の清潔操作は手順を誤り、清潔部位以外の部位に触れる可能性がある。
その結果清潔手袋を再度装着し直す、消毒もやり直しというもっと面倒なことになる。
さらに人目を気にしてしまう私にとって大ダメージなのは「あの子、清潔操作もまともにできない」と思われること。
何よりこれが私にとってはメンタルにくる。
そう思われたくない。出来ない奴だけど、できない奴と思われるのはもっとも嫌なのである。
なので緊張している方が失敗も少なくて済むし、評価を下げることもなくなる。
そう捉えると「緊張している方がいいな」と思える。
面倒だと思う時その➂ 時間がかかる
時間がかかるのは手順が増えるので当然のこと。もたもた血培採取していて時間がかかるのはダメだと思うが、血培採取にかかる時間を短縮することを目標にしてもあまり意味のない事だとも思う。(手際よくやるのはどんな場面においても求められるとは思うが)しかし時間がかかると面倒だと思ってしまうのも事実。
こうやってちょっとしたことでも自分なりに真剣に考えてみると「そんなことまで考えているから面倒の度合いが上がっているのだ」という結論に行きつく。
血培を採取する指示がでたら時間がかかるなとか余計なことは何も考えないようにする。
そのためには血培採取を速やかに実施することだけに集中する。
速やかに準備し、速やかに血培採取するには?ということだけ意識して行動する。
「面倒だな」が出てきたら「速やかに血培採取」と繰り返し思い浮かべる。
面倒だと思う時その➃ 緊急での指示
私の思考のくせでもあるが、緊急での指示が出された時に高頻度で「面倒だな」と思ってしまう。(緊急でレントゲンとか、緊急でCTとかも「えー」って思う)これを自己分析してみると、自分の予定通りに進まないことが嫌なのだ。
なぜ嫌なのかというとただでさえ要領が悪いのに緊急の指示がでるとさらに遅れたりして予定通りに終わらないことが嫌なのである。なぜ予定通りに終わらないことが嫌なのかを掘り下げると「きちんと予定通りに終わることが仕事の出来る人で、遅れたりするのは仕事ができないから」という価値観に縛られているからである。
私は昔から人一倍「仕事のできる人になる」という思いが強い。姉と比べると不出来だったので、仕事で認められたいという思いはそこから来ている。そして私の周りにいる、いわゆる「仕事のできる人」はやはり何事も早くできる。ただ早いだけでなくきちんと安全安楽に行いながらスピードも早い。緊急の指示でレントゲンやCTのオーダーが入ったとしても、素早く準備し検査室へ搬送している。そして下手したら何も緊急の検査がなかった私と同じ時間に仕事を終えている。
緊急で予定外であれば仕事が終わるのは遅れて当然なのだが、それでもきちんと仕事を終わらせる人がいると、それこそが仕事のできる人の基準になるからである(私の中での仕事ができるという判断基準)。
➁の緊張を伴うでも記載したが「仕事ができない」「できない奴」と思われることが嫌なのだ。仕事ができないという評価には恐怖を感じている。私は他の人に比べて要領が悪いと感じることは多々あるし、お世辞にも手際がいいとは言えないのは自覚している。それなのに仕事ができると思われたい。その感情こそが邪魔をしている。緊急の指示を面倒に感じている根本原因は自分のしょうもない感情なのだと気づいた。
ではどうするか。
➀仕事ができる人は確かにいるので自分もそういう人になれるよう努力していく
➁仕事のできない人間なのだということを受け入れる
➂もしくは折衷案で仕事が出来ないことを受け入れながらも自分で出来る限りのことは努力する。
実は➂が一番中途半端。努力することと、受け入れることが中途半端で前にも後ろにも進まないような状態である。
➀は「HSPでなくなる」状態にするくらい大変なことであると思う。仕事のできる人が自動車ならHSPの私は自転車というくらい根本が違うから。乗り物というカテゴリーが同じなだけ。中身や馬力は全く違う。仕事のできる人の脳と私の脳はそれくらい違うと思っているので、同じようになろうとするには無理があると思っている。
➁はどうやって仕事できないという現実を受け入れるのか。自転車には自転車にしか走れない道があるというのは頭では分かっていても、仕事ができる人になりたいという思いを持っているとなかなか受け入れられるものでもない。今はこれに限っては答えが出ないのだ。認めたくない、受け入れたくないというのはずっとあるのかもしれない。
ではどうするか。時間がかかってもいいので諦めず、できるようになることを1つずつ増やしていく。長期目標にして普通の人が1年で習得できるものでも3年もしくは5年かけてでもやれるようにする。焦らないようする。すぐ他人と比べそうになるが比べるのは過去の自分だけにする。仕事ができる人のことはどういう動きをしているのか客観的に観察するようにする。(妬み、自分の卑下など感情は抜きで)
というわけで、血培の指示が出て面倒だなと思う感情に対しての対策はこれで終わり。
次は血液培養についての基礎知識などを勉強して投稿する予定。では。

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